みなさん、こんにちは!みおさきです!
今回新しく連載企画始まりました!!!
ピースボートに乗船した方々の、地球一周体験記を掲載していきます!
どんな地球一周だったのか、どんな出逢いがあったのか
やっぱり気になりますよね~
地球一周の思い出をいろんな方に語ってもらいます!
第一弾は!!!!
2018年12月に出航した南半球クルーズ
第100回記念クルーズに乗船した
文屋敏宣、ぶんぶんです!!!
・自己紹介
こんにちは。
ピースボートセンターとうきょう ボランティアスタッフの文屋敏宣です!
ぶんぶんと呼ばれています!
僕は、2018年12月の第100回記念クルーズに乗船し、南半球を地球一周しました。
ピースボート乗船前は、地元の宮城県で貿易関係の仕事をしていました。
海外からの輸入品を企業の代わりに、税関などの関係各署に申告して輸入許可をもらうという事務仕事でした。
知人の紹介で知ったピースボート
ピースボートとの出会いは、2018年5月に出航した第98回クルーズに乗船した知人がきっかけです。
退職後に何をするか漠然と考えていたタイミングでした。
オンラインサロンで知り合った50代の方が、ピースボートに乗船することを聞き、
「離婚も退職もしてまで乗る決意をしたピースボートってなんだろう?」
と興味を持ちました。
そして船旅説明会に行き、
「今後の仕事のことはとりあえず地球一周してから考えよー」
という軽い気持ちで第100回記念クルーズに申し込みをしました。
半年で、船賃全額119万円割引に!!
クルーズ乗船前に、ボランティアスタッフの活動をすれば船賃が割引になるという制度があります。
ボランティアスタッフの活動は現在、大きく分けて二つあります。それはポスター貼りと内勤活動です。
時間がある方は、効率よく割引が貯められるポスター貼り活動をすることが多いです。
しかし、僕には内勤作業がぴったりでした。
元々事務仕事をしていたこともあり、資料の発送作業のお手伝いやパソコン入力の作業が合っていました。
そのほかにも、2018年に豪雨被害のあった岡山での災害ボランティア、カンボジアの地雷除去団体に支援するP-MACの募金活動にもチャレンジし、乗船までにコツコツ割引を貯めました。
ピースボートセンターで毎日のように活動をしていたので、同じクルーズの仲間だけでなく、他のクルーズに乗船する仲間とも交流することができました。
半年間のボランティア活動の結果、船賃全額分※ を貯めて地球一周に参加しました!(※船賃全額分の金額はクルーズや年齢によって異なります)
船内生活でたくさんのことに挑戦!
約100日間の船旅中の7割ほどの日数は、船内で過ごします。
イベントスペースもあり、毎日たくさんの企画が催されています。
僕は、「夏祭り」の企画運営や映画『グレイテストショーマン』のパロディ動画を撮影したりしていました。
今までやったことのなかったダンスやよさこいにも挑戦しました。
特によさこいは、毎日20人ほどで真剣に練習をおこないました。
年配の方々に衣装の製作を手伝っていただいたり、練習時に音響などでたくさんの方に協力していただきました。
チリのバルパライソに寄港した際は、現地の方々に向けてよさこいを披露しました!
発表の場では、現地の人だけでなく、準備や裏方でお世話になった人たちにも見ていただけた事がとてもうれしかったです。
何より、一緒に練習してきたみんなで発表できたことに達成感がありました。
イメージが180°ガラッと変わったソウェト(南アフリカ共和国)
南アフリカでは、ソウェトという街にホームステイをする1泊2日の検証見聞(スタディ)ツアーに参加しました。
南アフリカではアパルトヘイトという人種隔離政策(白人と非白人を差別する政策)が1993年まで続いていました。
ソウェトは旧黒人居住区と呼ばれる街の一つで、ヨハネスブルクの郊外にあります。アパルトヘイト政策に対して暴動が起きた地域でもあり、世界一治安の悪い犯罪多発都市と呼ばれています。
100回クルーズの出航前に、ソウェトをはじめとした貧困地域に届けるための支援物資を日本全国から募っていました。
僕が参加したツアーでも、バイオリンなどの楽器を支援物資として現地のオーケストラ団体に贈りました。
僕たちのツアーでガイドをしてくださったカメラマンの方は、妹さんが反アパルトヘイトの暴動によって亡くなられたといいます。
支援物資のカメラを手渡した時、「これで子供たちに写真を教えられるよ」と、素敵な笑顔と力強い握手で喜んでくださいました。
ホームステイ先はオーケストラに所属する子供達の家庭でした。
家族だけでなく近所の友達などたくさん紹介してもらったのですが、スマホにメモしないと覚えられないくらいの人数でした!笑
夜には近所の方々が集まる野外クラブのような場所で、現地の皆さんにまざって飲んで踊って楽しい時間を過ごしました。
僕は、実際に南アフリカに行くまで、『貧しさ』や『差別』といったマイナスなイメージばかり抱いていました。
しかし現地の人々と出会い交流したことで、「こんなに笑顔のあふれた国はない」と考えが変わりました。
行かなければ分からなかったことなので、本当に行ってよかった国の一つになりました。
ここが私のアナザースカイ!
刺激たっぷりの地球一周の船旅の中でも、南米で船を離れて旅した2週間が一番濃い時間だったなと思います。
「せっかく南米に行くならウユニ塩湖が見たい!」
一緒にボランティア活動をしていた子の一言で、イグアスの滝とウユニ塩湖を目的地にする旅の計画を乗船前から立て始めました。
リオデジャネイロから7人で出発した旅だったのですが、トラブルばかり(笑)
スマホを盗られたり、飛行機がキャンセルになってチケットを取り直したり。
そして一番困ったのは、僕のパスポートが盗まれる事件です。
ウユニ塩湖のあるボリビアの空港で置き引きに遭い、空港警察や日本大使館などに大変お世話になりました。
そもそも船を離れて旅する間は全てが自己責任になるので、毎日が緊張と不安でいっぱいでした。
パスポートの盗難により一週間くらいの足止めを覚悟しましたが、特別にわずか1日(!)でパスポートを再発行!
他の6人には一日遅れでウユニ塩湖に到着し、合流できた事に何よりも安堵しました。
そして半年前から夢見た景色にたどり着けたこと、みんなが楽しんでくれていたことに「ほんとに来てよかったなぁ」と。
僕にとってウユニ塩湖は「ここが私のアナザースカイ」と言える場所になりました!
誕生日
100回クルーズの最終日には、24歳の誕生日を迎えることができました。
僕自身も普通に祝われるだけでは面白くないので、これまでの誕生日とは少し違うことをしようと思いました。
そこでアメリカなどで定番の誕生日のように、自分で自分の誕生日パーティーを開くことにしました。シャンパンとケーキを用意し、3か月で特にお世話になった人たちを招待し感謝を伝える席を用意しました。
自分で設けた席ではあったのですが、ハッピーバースデーを歌いながら船のクルーが持ってきてくれた誕生日ケーキには感動しました。
ちなみに、船旅中の3か月の間「みんなでグレイテストショーマンを踊りたい!」とずっと言い続けていたのですが、なかなか集まることができず諦めていました。
しかし最後の最後に誕生日祝いのサプライズでみんなが集まってくれて、一緒に踊ることができました!
みんなからもお祝いの言葉や手紙などもいただいて、クルーズの3か月の中で一番幸せな日になりました。
地球一周後何していたか
100回クルーズから帰ってきてからは、日本各地でリゾートバイトをしています。
海外はいろいろまわってきたけれど、日本国内で知らない土地がまだまだあることに気づきました。
コロナで海外に行くことが難しい今、改めて日本を見るいい機会だと捉え、これまで沖縄県の久米島や草津、箱根や宮古島でリゾバをしています。
今後の目標
今後やりたいことは120個くらいあるんです!!
自分の拠点をどこにするかも探し中ですし、「キャンピングカーでのアメリカ横断」、「月に行く」なども目標の一つです!
そして、「ピースボートで次は北半球を地球一周する」という夢もあります!
今、僕は2周目の地球一周に向けてボランティア割引や現金を貯めたりと準備をしています。
これからボランティア活動をおこなう人へ
周りからは「コロナ禍でいつ行けるかわからないし、(ピースボートの準備に)いま時間とお金かけるのはリスクじゃない?」といわれたりもします。
僕自身リゾバの派遣切りにもあったので、今は生活すら大変だからクルーズは難しいという意見もすごく分かります。
しかしいつ行けるか分からないからこそ、行けるときにすぐ行きたい!という気持ちが強くなりました。
『やりたいことを全てやり遂げて笑って死ぬ』のが僕の人生の最大の目標です。
地球2周目に行くのがやりたいことの一つである限り、達成しなければ死んでも死にきれません。
とはいえ、やりたくても達成できないものが既にいくつか出てきました。例えば、安室奈美恵のコンサートに行くこと(引退してしまった…)やエアーズロックに登ること(観光客向けの登山が禁止されてしまった…)などです。
「行きたいときに行っておけば、、、」という後悔は何度もありましたし、今後も幾度もあると思います。
これ以上の後悔をしないために「乗りかけた船は乗れ」の気持ちで自分は活動しています。
これを見てくれた方々も、少しでも乗ってみたいという思いがあるなら一歩踏み出してみて欲しいです!
文:文屋敏宣
編集:三尾紗希