こんにちは!
ピースボートセンター東京ボランティアスタッフのぴょんちゃんこと八木香織です
突然ですが今回から複数回にわたってピースボートスタッフの紹介をしていきたいと思います!!!
「ピースボートって何?」
「どんなところなの?」
「世界一周って本当のとこどうなん?」
そんな皆さんのお悩みをまるっと解決していきたいと思います!
ピーセンには魅力的(個性的)なスタッフがたくさんにます
そのなかでもトップバッターとして紹介するのは東京ピーセンきっての元気っ子、のりぴーこと椎名慈子さん!
茨城県出身の現在21歳。見てくださいこの摘みたてのオレンジのようなフレッシュな笑顔!産地直送って感じですね。
ピーセンでは元気なお調子者(本人談)として盛り上げて貰っており、よくのりぴーの笑い声がピーセン中に響いています。
そんなのりぴーに今回はインタビューしてみました。
ぴょ「これからインタビューさせていたただきます。お願いします」
の「お願いします」
ぴょ「さっそくですが、初めてピースボートに乗ったのはいつですか?」
の「高校卒業してすぐの7月、84回クルーズでした。普段のクルーズは西回りなんですけど、私が乗ったクルーズは東回りで最初の寄港地がハワイだったんです!北半球と中南米を回ってきました。」
ぴょ「そうなんですか。最初の寄港地がハワイなんてテンションあがりますね!では次になぜピースボートに乗ろうと思ったんですか?」
の「何の目的もなくエスカレーター式に大学に行くことが嫌で、なんか行く意味あんのかなって。そのときふと”海外に行こう”って思ったんです。あと海外の人と結婚したいなって笑 ならいろんな国見て自分に合う国探していい人見つけようって思って!」
ぴょ「 笑 (動機が不純すぎる・・・)」
の「三年生の時とか受験しないでバイトばっかりしてたんです。そしたらお姉ちゃんが”ピースボートって安く世界一周できるやつがあるよ。行ってみたら?”って言われて興味を持ったことがピーセンに来るきっかけでした。」
ぴょ「なるほど。家族からの薦めがあったんですね。」
の「それがそんなことはないんですよ。お姉ちゃんは後押ししてくれたんですけど、両親は大反対。ピースボート乗ることも、大学行かないことも気に入らなかったらしくて”遊びに行くんじゃない!”って」
ぴょ「そうだったんですね!でも結局乗ったんですよね?」
の「はい笑 ピースボートのスタッフさんたちと行くためのプラン組んだり、親をピーセンに連れてきて説得したり。色々スタッフさんとかお姉ちゃんの手を借りてなんとか乗れました。親の反対だけじゃなく金銭的にも大変だったけど、それも船に乗ればいい思い出です」
ぴょ「大変だったんですね。そんな大変な思いをして乗った船はどうでしたか?」
の「めっちゃ楽しかったです。でも楽しいだけじゃなくて考えさせられた旅でした。」
ぴょ「いいですね。では、そのクルーズの中でも記憶に残ったこととかを教えてください」
の「そうですね・・・船内での生活で一番記憶に残ってることは運動会ですかね。」
ぴょ「船の上で運動会なんてできるんですか」
の「スポーツデッキって言うところがあって、そこでやったんです。運動会は船上の人を赤白黄色の三つのグループに分けて戦うんですけど、そのグループの中で応援団をつくったりして。私、応援団長になって、しかも優勝したんです!」
ぴょ「めっちゃすごいじゃないですか!」
の「はい笑 でも本当は他にも応援団長やりたいって人が3人もいたんです。こんなにいるなら譲ろうかな〜なんて思ってたんですけど、じゃんけんで勝っちゃって!びっくり。それでいざ団長やってみたら超大変。運動会の1グループって200人位いるんですよ。そんな人数まとめたことないし、どうしたらいいかわからなくて。シニアの方とか運動会に出ないって人も結構いたから説得したりするのが大変でした」
ぴょ「200人も!でもそれをまとめて優勝したのは本当にすごいです」
の「ありがとうございます。この運動会を通して”一人の力じゃ何もできないな”って事を感じたし、“どんなに言葉を尽くしても動いてくれない人もいるけど、自分の言葉で動いてくれる人も居るんだ”って気づいたことがどっか心の中に残ってますね」
ぴょ「なるほど。ありがとうございます。では寄港地で記憶に残ったことを教えてください」
の「私の中では二カ国残ってるところがあって、ヨルダンとカンボジアという国です」
ぴょ「ではまずヨルダンから教えてください」
の「はい。ヨルダンはよく行く料理屋のご主人がパレスチナの方でだったんです。そこで少しお話を聞いていて興味を持ったんです。向こうでは見聞検証ツアーというものをとって難民キャンプで現地のNGOの方々や難民の方々と交流してきました。」
ぴょ「どんなところでした?」
の「難民キャンプっていうからテントとかだと思うじゃないですか。家なんですよ。でもすごいぼろぼろで、最低限住むだけ。みたいな。私たちが毎日暮らしている温かいご飯が食べられて、暖かい布団で寝られる生活とはかけ離れていて唖然としてしまいました。しかも武力闘争で無理矢理避難せざるおえない境遇におかれている彼らにこんなことって」
ぴょ「そうだったんですね。お話を聞くだけでも大変なことが伝わってきます…」
の「本当に当たり前の生活が当たり前じゃないんだなって…」
ぴょ「…では次のカンボジアについて教えていただけますか」
の「カンボジアでは地雷検証ツアーというものに参加しました。ピーセンにいた際にP-MACというカンボジアの土地から地雷を撤去しよう!という募金活動をしていて、直接自分の手で募金を渡したくて参加しました。でもそもそもなぜ地雷を埋められたかとか知らなくて。ちゃんと知ったのは船の上でした。カンボジアでは内戦があって、兵士のみならず一般の市民も大量に虐殺されていたんです。その内戦での兵器の一つが地雷でした。
そのツアーの中で大量虐殺された場所だったり、埋められた場所などを回ったときに「同じ人なのに何でこんなことができるんだろう」と怖くなってしまいました。「もし殺せないなら殺されるという極限状態のときに自分だったら…と考えるとしなくはないかなって。」とかいろいろ考えてしまったら、その日は眠れなくて。ホテルのロビーに行ったら同じように何人かいて、みんなで今日のことについて話しました。
そのなかである人が言ったんです。
“人間は芸術や美しいものを生み出す正の可能性も計り知れないけど、同じように負の可能性も計り知れないんだよ”
“遠いカンボジアのことかもしれないけど、他人事じゃない。イジメとかもそういうものに繋がってる。見て見ぬふりをして自分の身近で起こっていることもあるんだよ”
と言われたときにストンとなにか腑に落ちたんです。学生の頃いじめを受けたことがあって、自分と重なりました。今までどこか他人事のように感じていたことが自分事のように感じました。未だに心の隅にこの時のことは残っています。」
ぴょ「私もどこか他人事のように感じてました…自分事なんですね。詳しく話していただきありがとうございます。切り替えられないかもしれませんが次の質問に移ります。」
の「はい」
ぴょ「ピースボートのスタッフになったきっかけはなんですか」
の「ボラスタのときからスタッフさんが楽しそうで、やってみたいなって思ってたんです。でも船の上で企画をやったり、人と話したりしたときインプットとアウトプットかうまくいかなくて、降りた後にすごく後悔したんです。それでスタッフするのはあきらめようって思ってたんですけど、スタッフさんが当然のように「いつスタッフになんの?」って聞いてくれて、「私でも求めてくれる」「一緒にやってくれる」って気づいたときに やろう ってきめたんです。」
ぴょ「そうだったんですね」
の「悔しい思いをした私だからこそ伝えられること、昔はぱっぱらぱーだった私でもこんなに視野が広がるんだよって伝えることができるんだって」
ぴょ「何気ない一言でも救われますよね。のりぴーにとってピーセンはどんなところですか」
の「自分が自分でいれる場所だなあって思ってます。なんかキャラクターとして“元気で明るいのりピー”じゃなきゃ。っておもってたんですけど、ここでは辛くて泣いても悔しがっても笑ってもどんな姿見せてもいいんだよって示してくれた場所かなと思ってます」
ぴょ「それはめっちゃわかります。誰でも受け入れてくれるアットホームな感じですよね。では最後に乗ろうと思ってる人に一言お願いします!」
の「本当に人生は一度きり。
人生の主役は自分なんだしやりたいことをやってほしい!
もちろんピースボートに乗ったりすることもそうだけど、それ以外の自分のやりたいことをやるべき。
一歩踏み出すだけで今までとは違う景色が見えるはず。
もしピースボートが気になってるなら何も考えずにきて!
できない理由はいくらでも見つけられるんだから考えない。
できる理由を考えてプラスに行ってほしい!
いつピーセンに来てもいい。いつでも歓迎しています!」
ぴょ「はい!長々とインタビューありがとうございました。」
の「ありがとうございました」
以上、のりぴーのインタビューでした。
いかがでしたでしょうか。結構まじめな記事になってしまいましたね。
私もピーセンに来て間もないので知らなかったピーセンのこと、船の上のこと、のりピーのことがしれた気がします!
まだまだこの企画は続いていくのでまた気になったら読んでみてください!!!
つぎは誰なんでしょうかね!お楽しみに!